ハリストス正教会
正教会
最も古いキリスト教
キリスト教発祥の地→中近東→ギリシャ→東欧→ロシアに展開されていた。
『ギリシャ正教会』、『東方正教会』伝統を重んじ、昔のキリスト教を今日まで忠実に再現。
日本への伝道
1861年 ロシアの修道士ニコライが伝道した。
最初の教会は東京のちに神田に移し、東京復活大聖堂を建立。
正教会の奉神礼と祭日
正教会は礼拝を大切に扱う教会。
10世紀にビザンティンの礼拝訪問したロシアの使者はその美しさを絶賛されていた。
礼拝の大半は歌(ア・カペラ)で構成、楽器は使用しなかった。
最大の祭は復活祭→主イイススの復活記念。
日露戦争時
1.ロシアのニコライ司祭により伝道→正教はロシアと一体と見なされた。
日露戦争の悪化で正教徒はロシアのスパイとされ迫害された。
しかし、難局を経て各地の捕虜収容所に神父を派遣し支援物資を送り広域化に成功。
2.ペトル柴山準行神父(1857〜1937)が名古屋正教会を管轄していた。
柴山神父は、教師→東京の神学校に入学→伝教者となった。
1898年に地元信徒の要請→司祭になった。
日本家屋の小教会で多大な信頼を獲得様々な資料を保管→何事も細かく執筆が習慣であった。
ペトル柴山準行神父は毎日、名古屋市に数ヵ所設置された捕獲収容所を
訪問して祈祷を行うために
祈祷に必要な物品の調達、捕虜の注文、葬儀の手配、
さらに捕虜同士の争いの仲裁や脱走した兵士に
悔悟と謝罪を勧める慰問活動を行い捕虜からの信頼も篤かった。
新発見
五年前のある日、突然ロシアのオムスクから電子メールが一通あり、
「私のおじいさんが、日露戦争時名古屋で捕虜生活、神父にたいそうお世話になり、
神父さんとご家族の写真を終生大切にしていました」
との内容 と一緒に、古びた写真が添付されている。
そのため、名古屋教会で保管していた当時の写真数枚を送信され、
数日後、「おじさんがいました!」とメールと共に、赤で丸づけされ折り返し添付されて
その写真は、降誕祭?当時富士塚町にあった名古屋教会の聖堂前で撮影した集合写真より、
名古屋教会の信徒と捕虜は同じ信仰を持つ仲間の暖かい交流が伺える。
ハリストス正教会を訪問して感想
仏教や宗教はこれまで多々触れ合う機会があったが、直では初で、歴史や習慣の知識もほとんど無に等しいが、
パワーポイントで写真を用いての説明により大枠や皆が知る知識より一歩リード出来たのではと考える。
実際の写真を直で回覧する機会など滅多にないので良い経験になった。資料がなければ作り話ならいくらでもできる。
が、これほど実際の事が記録され保管されているので真実の何物でもないと実感させられました。
また、様々なイベントを企画なさっているので都合や機会があれば参加してみたいと思いました。